「議論はいけない」というほうがおかしい その2

yuu

2006年10月25日 01:38

ご都合主義なのは、朝日新聞だけではありませんでしたね。

沖縄タイムスです。
コラムを読んでみると・・・
(引用開始)
大弦小弦 (2006年10月23日 朝刊 1面)
 民主主義の社会では議論の大切さを疑う余地はない。特定の立場の人によって、また一方的な考え方で物事を決めたことが過ちや悲劇を招いた事実は歴史上数え切れない。
 だから議論の重要性はよく分かる。だが待てよ。ただ議論すればいいのか、テーマはなんでもいいのだろうか。議論することで、その行方によってはそれまで国民の総意として守ってきたことが変更することもあり得る。
 この一週間、自民党の中川昭一政調会長の「核保有論の議論の必要性」発言が国内外に波紋を広げている。後押しするかのように麻生太郎外相も「政党の議論は妨げない」と表明し、より物議をかもしている。
 世界で唯一、しかも二度の原爆の被害を受けた日本では、核の保有どころか存在自体否定するのは自明のことではなかったか。しかも核廃絶が世界の流れの中で、保有について是非を問う必要性があるのか。
 中川発言は最近の北朝鮮の核実験をけん制したものとの見方もある。ここで思うのは、ある意図を持った政治家が「議論」という言葉を持ち出すことによって、なんでも正当化されやすい危うさである。
 今回の話は一国の政治の場での議論である。単なる市民レベルの議論ではない。そのことで核保有について「誤ったメッセージ」を他国に送ることへの懸念する声がある。被爆国日本が、核廃絶に費やした半世紀以上の努力が無になる可能性さえある。(比嘉弘)
(引用終了)


>だが待てよ。ただ議論すればいいのか、テーマはなんでもいいのだろうか。議論することで、その行方によってはそれまで国民の総意として守ってきたことが変更することもあり得る。

こうやって、都合が悪いことには難癖つけるのですね。
政治家にとっての「言論の自由」はどこへ?

>ここで思うのは、ある意図を持った政治家が「議論」という言葉を持ち出すことによって、なんでも正当化されやすい危うさである。
ここで思うのは、沖縄タイムスが社是に掲げている「言論の自由」を持ち出すことによって、政治家が自由に意見を喋ることができなくなるという不健全な状態が正当化されやすい危うさである。(沖縄タイムスの社是はこちら

「言論の自由」というのは、自分に都合がいいもの→どんどん議論すべき、都合が悪いもの→絶対反対、議論することもダメ、ということなのでしょうか、沖縄タイムスさん?

これでは、小林よしのり氏などに「沖縄は全体主義」というように批判されても仕方ないですね。
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